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私の心を惹きつけた出来事 1
月に、3回から4回ある若康会のパーティには、いつも100人くらいの 人が集まります。あるパーティが終わって、煙草を取り出しながら、会場を出ようとしていたときです。
後ろから、それは、それは、やさしい声で、知らない女性に「あまり お煙草をお召しになると、お体に悪いですよ。お体をお大事にね。」と、話しかけられました。
私は、(この一言)で、電気に打たれたようになりました。
いつも一人ぽっちで、家で過ごしている私は、(自分を気遣ってくれる人がいるのだ、こんな人がいつも側にいてくれたらどんなに良いだろう)と心が騒ぎました。
(是非、電話番号がしりたい) と、思いましたが、突然、その人に「電話番号を教えて下さい」などとは,言えません。
ただ、名札だけを覚えて帰りました。そして、早速、翌日、若康会の事務所へ電話をし、相手の女性の許可を得てもらって、電話番号を教えてもらいました。
そして、お付き合いを始めたのです。
これが、結婚の動機でした。
60代 男性
私の心を惹きつけた出来事 2
若康会では、1ヶ月置きにバス旅行があります。
若康会での、ある一泊旅行のときでした。
女性は、化粧品とか、おみやげ品とか、いろいろ荷物があって、バッグが重くなります。
歩いて移動していた時です。ふと、手荷物が軽くなりました。
後ろを振り向くと、会員の、ある男性の方が、「重いでしょう、持ってあげますよ」と言って、にこにこしていらしたのです。
それまで、話したこともなく、ただ、その時、偶然、側を歩いていた、と、いうだけの人でしたが、家に帰ってから、私の心にその笑顔が焼きついて離れなくなりました。それから、若康会の事務所へ電話をして、その人の電話番号を教えてもらいました。
そして、私から、お付き合いをお願いし、1年余りの月日を経て、結婚致しました。
今、最高に幸せです。
50代 女性
私の心を惹きつけた出来事 3
私は、会社を経営していて、忙しく、ダンスも出来なければ、アルコールも体に合いません。無駄口もききません。
身長も低く、顔も普通以下だと、自分で思っています。
妻に死なれ、数年経ち、知人の紹介で若康会に入会しました。
ある日、若康会のパーティ会場で、ただ黙って、隅の方で、みんなを眺めていました。
その時です。ただ、じっとしている私を見て、気の毒に思ったのか、ある女性が、ビールを持って近づいて来ました。
「おビール如何ですか」
「私はビールは飲まない」
「では、ダンスを致しましょう」
「私は、ダンスは出来ない」
こんなやりとりの後、女性は、改めてジュースを持ってきて、「どうぞ」と言って、隣に座り、いろいろ話相手になってくれました。
私は、その心使いが嬉しく、翌日、若康会の事務所へ「その女性に、私の電話番号を連絡して欲しい」と、頼みました。
その女性は、快く受け、「自分の電話番号も教えて上げて良い」と、言ったそうですが、しかし、私のことは、誰だったか覚えていない、とのことでした。
きっと、誰にでも親切な女性なのだろう、と、思いました。
それから、私はその女性に交際を申し込み、その後、お付き合いを経て、結婚しました。
それが、今の妻です。
70代 男性
私の心を惹きつけた出来事 4
若康会の行事には、フリータイムのパーティと、お見合い形式のものがあります。
このお見合い形式の時、男性が、全部の女性のテーブルを回るのですが、私が初めて出席した時は、誰も心に残りませんでした。
1週間後の、フリータイムのパーティの時です。
偶然、隣に座った男性がいました。
私が、風邪気味で咳きをしていると、「風邪ですか、風邪には、ビタミンCが良いですよ」と言われました。
私は、ビタミンCと教えられたことにも感動しましたが、それより、私は、その、とても優しい声に、なぜか、心が踊りました。
それから、いろいろ話しているうちに、この男性は、前回のお見合いにも出席していたとのことでしたが、私は、全然覚えていませんでした。
その時は、その人は、居たのでしょうけれど、全く、興味を引かなかったのです。
人は、いろいな場面で会って話してみなければ、その人の、人となりは、分からないものだ、と、思いました。
私は、早速、電話番号を渡して、「いつでも、お電話下さい」と言いました。
それから家で、電話のかかってくるのを待っている間、どきどきでしたが、電話が、掛かってきたときは、嬉しくて、心が熱くなりました。
そして、自分から、お付き合いをお願いし、結婚まで行きました。
今、とても幸せです。
60代 女性
本当の幸せ
私は、若い頃、結婚に対して、大きな夢を持っていました。
何回、お見合いした事でしょうか。
大きな家、大きな庭、学歴、収入、ハンサムでやさしい夫、その他ーーしかし現実は、何回お見合いしても、思うような人はいませんでした。
フィーリングが合わない、条件が悪い,何かが違う。
そのうち、だんだん年月が経過し、私は40歳を過ぎていました。
50歳近くなった頃、親戚の人が、縁談を持ってきました。
相手の人は再婚でしたが、ようやく条件が合う人に巡り合った、と思いました。
そして、結婚したのです。親戚の話では
「社長で地位もある、大邸宅があり、収入も多い、一生、贅沢も出来るわよ」と言う話でした。
しかし、その生活は,まったく想像とは違ったものでした。
(主人は、朝から夜遅くまでいない。私は、家事一切に明け暮れる)だけの生活でした。
その上、主人は私の自由を縛り、自分の用事で家に電話をかけてきた時、私が家にいないと、きつく追及して怒ります。
やさしい会話など、まったくなく、あるのは命令のみでした。
お金は、必要経費だけ渡されて、食料品など、買い物をした場合は、領収書を点検します。
私は、(これが結婚生活か?)と考え悩みました。
それから、2年、我慢しましたが、(やっぱりこれは私の望む人生とは違う)と結論を出し、ついに離婚しました。
そして一人になりました。
しかし、やはり、一人は淋しいものです。心に穴が空いているような毎日でした。
そういうときにテレビで、若康会(わこうかい)の楽しそうなパーティと、若康会で結婚したと言う、幸せそうなご夫婦を見ました。
(ああいう楽しい世界もあるのか、私も入って見ようかな)と思い、早速入会しました。
そして、それぞれ事情は違っても、「シングル」と言う、境遇の同じ人達と、おしゃべりしたり,一緒に旅行したり、楽しくパーティを満喫したり、して、(こんな素晴らしい、自由な、楽しい世界があったのだ)と言うことを知りました。
人生は、お金ではない、と、つくづくそう思いました。
そして、若康会(わこうかい)のいろいろな行事に出ているうちに、本当に心のやさしい人と巡り合いました。
(地位もない、大邸宅もない、けれど、なんと思いやりのあるやさしい人か)と、思いました。
(私が話していると、ただ黙って、うなづいて聞いてくれる、パーティ会場では、飲み物を持って来てくれる、旅行先では、「重いでしょう」と荷物を持って気遣ってくれる・・・)
私は、(この人がいれば、何もいらない、)と、思うようになりました。
そして、自分から「一緒に居たい」と言いました。そして、結婚しました。
私は、平凡な毎日が最高だ、ということを知りました。
今、暖かい安らぎを、しみじみ味わいながら、とても幸せに暮らしています。
「あそこへ旅行したい、これはこうしたい」と、何を言っても
「あなたの好きなようにすれば良いんだよ」と、出来る限りのことは、賛成してくれます。
結婚は(お金)ではありません。(愛)だ、と、しみじみそう思います。
しかし、今、じっくり考えて見ると、もし、私が若い頃結婚し、二人で苦労し、努力し、何もない1から、築きあげて成功した生活なら、また、考え方も変わっていたかも知れません。
前の主人は、責任ある立場で、きっと仕事が忙しかったのだ、と思います。
夜、遅く帰ってくるのも「仕事は大変なんだな」、と、理解できたでしょうし、疲れて、ものも言いたくない気持ちも、思いやりが持てたでしょうし、いたわりの言葉も、かけてあげられたかも知れません。
そして、離婚などせず、反対に、一生懸命協力していたかも知れません。
のんびりと、夢ばかり追ってきた人生と、実際に困難と戦って自分の城を築きあげた人生と、あまりにも違いすぎて、お互いが理解できませんでした。
幸せの感じ方は、その人の過ごしてきた境遇が重要な要素を持つのかも知れない、と、思います。
50代女性 |